ランナーエピソードのご紹介
皆様からお寄せ頂きましたランナーエピソードをご紹介いたします。
エピソードは今後もピックアップの上、大会SNS等でご紹介させて頂く場合もございます。
テーマ:わたしと私を応援してくれるひと
タイトル:私を救ってくれた言葉
お名前:まみりん さん
神戸マラソンに初めてエントリーしたその年は、私にとって忘れられない年になりました。楽しいことではないので恐縮ですが、その年の神戸マラソン大会の1ヶ月ほど前に、生家が全焼してしまう火事に見舞われました。誰も責められない、不慮の火事でしたが、生まれてからのアルバムや思い出の物は、全てなくなってしまいました。思い出の詰まった庭も何もかもが燃えてしまいました。当大会への参加も躊躇いましたが、せっかくと弟に背中を押されて参加しました。大会当日は、都市大会ならではの華やかさにドキドキしました。号砲が鳴り、走り出したあと、数キロ進んだ所で沿道から「来てくれてありがとうね!」と声援をいただきました。私は、こみあげる涙を抑えきれませんでした。道路を封鎖して走らせて頂いてるのは私達なのに、ありがとうって言われたのは初めてでしたし、火事の後片付けや、悲しくて傷ついた私の心に、すっと心にしみた優しい応援の言葉。こちらこそありがとうを言わなければいけないのに、本当にあの時は、救われました。沿道の皆さんは笑顔で応援がいっぱいで。あの時は、本当に救われました。ありがとうございます。
タイトル:今年は何を着て走ろうかな
お名前:キャサリン さん
第一回神戸マラソンに当選して、初マラソンを走ることに。完走できる自信を持てずにいた私に家族がテイシヤツに虹を描いてくれました。それを着て走って、無事完走。おしゃれランナー賞までいただいて。2回目はランワンピに赤いリボンをポートタワー風に千人針のように家族だけでなく友人たちにも少しずつ縫ってもらいました。ばっちり翌日の新聞に写真が。それから、神戸マラソン走る際には家族会議でテーマ決めて、帽子やウエアに装飾を。
鉄人、サンバダンサー、はばたん、神戸タータン、たんたん、昨年はタイガースガールで、ふたたびおしゃれランナー賞を。
今年は還暦を迎えたので、真っ赤なウエアで走る?いや、捻りがなくない?須磨シーの前通るならオルカやイルカとか、、、考えるのも楽しい。
最後になる神戸大橋を笑顔で走れるように元気の出るウエアをこれから家族会議で決定したいと思います。ダーリンは今、闘病中です。そんなダーリンに神戸マラソンで一緒に考えて作ったウエアで元気に走っている姿を見てもらって、元気づけられたらと思います。
タイトル:挑戦の大切さ 努力で変えられる未来
お名前:トモ さん
私は神戸で会社経営をしております。
コロナ禍の業績悪化からメンタルヘルスの一貫としてダイエットを始めま2年間で35キロ減に成功しました。
同時に趣味として走り始め昨年の神戸マラソンでは3時間14分というタイムでした。
そこで一区切りの予定でしたが今年支えてくれた妻に癌が見つかりました。
現在も闘病中となります。
私が挑戦する姿をいつも誇りに思ってくれる妻に努力で壁は越えられると証明をして勇気を与える為にエントリーを決めました。
病も可能性の話がつきまとい不安を煽りますが、努力で変えられる未来もあります。
今回、サブスリーという5%以下の可能性に入り闘い打ち勝つ姿を見せたいと思います。
タイトル:待望の古希マラソン
お名前:竹本 孝 さん
この日を待っていました。30歳初マラソンから11回目のフルマラソンは、古希70歳、正直ここまで走る事が出来るのかと思っていました。
2年前の北海道マラソンが丁度10回目のマラソンだったのでキリがいいのでラストランにするつもりでしたが北海道マラソン完走後走欲が出て70歳完走を目指し地元の神戸マラソンにエントリーし籤運にも恵まれてこの日を迎える事になりました。
私は、このミッションをkoki @42195 と名付けました。koki (古希)でフルマラソン完走を目指します。
タイトル:沿道の皆さんの声援を力に
お名前:尾崎 聖一 さん
今年で4回連続の神戸マラソン参戦です。
毎回思うのですが、沿道の皆さんの声援が私達ランナーの後押しをしてくれます。
本当に有難い事です。
今回も沿道の皆さんの声援を力に変えて
最後の浜手バイパスから神戸大橋を笑顔で走り切りたいと思います。
ご声援宜しくお願いします。
タイトル:71歳の学友と共に
お名前:山城 正 さん
63歳から始めたマラソン、暑い夏、雪の中の練習は残酷マラソンみたいです。元来意志が弱い私は当選すると高校時代のクラスメイトに知らせることによって退路を断ち、弱い自分を逃げ場が無いようにします。同級生たちの目を気にすると練習もおろそかに出来ませんし、本番では否が応でも歯を食いしばってでも完走しなければならないと云う意識がわいてきます。今は無き八鹿高校大屋分校21期生のみんな、昨年は古希記念同窓会に参加してくれてありがとう。途中の関門でバスに乗るようになったらエントリーを止めます。それまで一回でも多く神戸マラソンを走りたいと71歳の私は頑張っています。
タイトル:一度の大会人の交流と応援で成長した自分へ
お名前:松浦 慎一 さん
昨年神戸マラソン初出場初完走をした北九州市出身の身体障害者です。七年前に最初に参加して走ってた門司港レトロ大会で体力を上げる為に一年に一度5キロ走ってフルマラソンは当初未だ活動を行って無かったです。スポーツジムを入会した始めた時の知り合いが応援を見に来て色んな方と交流が増えて自分も走る事に少し自信を受けました。当時は障害者A型事業所に就いた事で一般企業に勤める事が難しく社会に通用する能力が低かったです。大会に出場する度徐々に仲間が出来今では一緒に走ったり互いに励ましや忘年会等して過去には、片手で友達と登山の頂上付近迄登った事もありました。小学校時代から高校卒業する迄小学低学年の漢字しか書けず知能が無く、現在一般企業を就職して人生を逆転して成功した事も共通する趣味の出会いと応援した方の付き合いでした。去年の神戸では、同じ走ってた方と写真を撮ったり中盤周辺で給水所で色々声をかけてもらい印象が残っていて今年はどんな物語が待ってるのか当日楽しみで、地元テレビ局の密着取材以上の思い出にしたいです。子供時代から今迄会った人含めて自分が進歩した事は後押しと応援の言葉があって有難うの気持ちで沢山です。
タイトル:少年野球大好きな父へ
お名前:河内 博之 さん
他界して7年、夏の時期が来れば高校野球の話題で良く会話をしたのを今でも覚えている。
少年野球での教え子の成長が気になってしょうがなかったもんな(笑)
天国でも、野球好きな人を集めて楽しんでいることやろ、そんな父(母も)に丈夫な体に鍛えてくれた事に感謝しながら
数年前からマラソンに挑戦し続けている私。「何事も諦めるな」が口癖だった事を思い浮かべ、前へ前へ一歩一歩進みながら今回も完走するで、この日だけは俺の応援してや。
タイトル:ありがたい声援
お名前:安西 典子 さん
運動嫌いの私が6年前から兄妹でフルマラソンに挑戦するようになったのは7才上の兄から誘われたのがキッカケである。本番はたくさんの人がいて楽しいのに練習するときは孤独でつらい。
2年前からは2才上の姉もマラソンを始めてその年の神戸マラソンは3人きょうだい揃って完走メダルを手にして、喜びもひとしおであった。
私にとって、今年の神戸マラソンは、4回目の参加で姉と挑む。
チャリティービブズは、いつも「のりぺん」にしている。いろいろな人から「のりぺん」と声をかけてくださり毎回、元気をいただく。どんな方が私に声をかけてくださったのだろうかとなるべく振り向くようにして、その方向にちょこっとおじきをする。もう、とっくに体は限界なのだが、後方をボチボチ進む私にまで応援してくれる気持ちが本当にありがたいのだ。毎回、完走できたのは、沿道から応援してくださる方々のおかげである。
今年もマイペースで完走を目指しますのでよろしくお願いします。
タイトル:皆の応援を力に一歩ずつ エイドも楽しみに
お名前:まことくん さん
運動をしていない50歳は、地元のフルマラソン開催が決まり、先輩たちの参加機運も高まり一緒に走らされることとなりました。その北九州マラソンでは、双子の娘二人と走り妻が沿道で応援。知人たちの電車での追っかけ応援などもありなんとか完走。熊本城マラソンでは、熊本市在住の姉がきつくなる30km過ぎで応援してくれました。どのマラソン大会でも、ボランティアや沿道での応援及びパフオーマンスに力をもらっての完走だと実感しています。また、『あそこまで走ればあの給食が待っている』と思えば更に頑張れます。
42.195kmという途方もない距離に挑めるのは、高校時代にたまたま入った陸上部で短距離の指導を仰ぎ、今も交流のある部活の恩師のおかげだと思っております。今回、所属のラン倶楽部の方が神戸マラソンを走ったと聞き『そういえば、姉夫婦が神戸にいたなぁ。久しぶりに行ってみよう』と思い立ち応募しました。聞けば姉夫婦は、神戸マラソンのボランティアをしているとのこと。特色ある応援と神戸スイーツを楽しみに、ラン倶楽部の仲間たちと共に完走したいものです。
タイトル:わたしと私を応援してくれるひと
お名前:三宅 慶樹 さん
応援してくれるひとの1番はやはり家族かな、当日の応援はともかく毎日の走る練習は妻をはじめ子・孫の理解がなければ続けられません。積極的に応援するのでなくとも私の勝手なランニング生活を黙認してくれているのが大きな応援だと思っています。
次にランニングクラブの仲間たちです。40年近く一緒に走っている仲間たちで、今まで方々のマラソン大会に共に参加してきました。今回の神戸マラソンに参加する方もあり、その中には子・孫と一緒に3代で参加する人もいます。
また、神戸シルバーカレッジの卒業生仲間にはボランティアで参加の方が多数あり、当日の沿道や事前受付の会場で声をかけてくれる方があり、ありがたく思っております。
最後に地域の老人クラブの方たちからもいろいろ応援いただいており感謝しております。沿道で声援を送ってくださる方もあり、また老人クラブの会報に私の神戸マラソン参加のことを掲載していただいたりしました。
それと、かかりつけの内科、整形外科、歯科の先生方にも応援いただいております。
タイトル:妻と子供のために
お名前:堀江 正樹 さん
神戸マラソンを走る頃にはランニングを始めてから一年を経過した頃になります。
私がランニングを初めたきっかけは仕事で過度なストレスを抱えてしまったのがきっかけでした。
ちょうど去年の夏頃仕事中にめまいで歩けなくなってしまい、涙が止まらないという症状に襲われてしまいました。
そんなときに自己肯定感を高めたくて始めたのがランニングです。
毎朝ランニングをしてから出社することによって、自分自身を褒めて仕事に向かえるようになりました。どんどん家族とも笑顔で向き合えるようになり、生活が充実して行きました。
それからハーフマラソンに挑戦を決意し、迎えたのが昨年の12月地元の大垣マラソンです。
家族の応援もあって無事ゴールが出来たその日の夜に、当時2歳の娘が寝かしつけしている時に『パパかっこよかったよ』と言ってくれたのが涙が出るほど嬉しくて、本当に続けてきて良かったと思いました。
そして初めてのフルマラソンの挑戦が今回の神戸マラソンです。
妻と娘の中でいつまでもかっこいいパパになるために必ず完走して、目標のサブフォーを達成します!
タイトル:家族の声援
お名前:とくちゃん さん
今回で3回目の参加させて頂きます。過去2回の大会では、家族と一緒に前日のエントリー受付やフェスティバルを楽しみましたが、小さな子どもを考慮して一度帰宅。当日、嫁さんと子供はアプリ観戦。私は家族を想い浮かべながら一人で走りました。その時、沿道からの声援に感動し、併走する電車の駅からの応援や丘の高台のマンションからの声援がとても面白く感激しました。さらに他のランナーが応援に来た家族と触れ合う姿を見て、羨ましさを感じたことを覚えています。
しかし、今回は少し違います。子どもが大きくなり、ついに家族も当日に応援に来てくれることになりました。妻と子どもには応援ラリーをお願いし、スタートからゴールまでの各ポイントで声援を送ってもらう予定です。特に、東垂水駅ホームや折り返し地点の舞子公園駅前、そしてモザイクガーデンでの応援を楽しみにしています。
沿道に家族がいることで、これまで以上に力が湧いてくるでしょう。ゴール後、子どもに完走メダルをかける瞬間を目標にしています。今回も一歩一歩、家族への感謝を胸に走ります。
タイトル:勇気を与えれるように
お名前:山口 美麗 さん
私は昔から運動嫌いで運動経験ゼロ。
マラソンを始めようと思ったきっかけは、親友の癌がきっかけでした。
彼女が私に癌の告知をしたのは2023年の8月乳癌のステージ4。私は言葉を失い、その日の夜、彼女の口から打ち明けられ、別室で大泣きをしたのを今でも覚えています。私は、癌の彼女に何をしたらいいか分からず、メールや電話で励みの言葉をかけ続けていました。そんな時に、私の友達がマラソンを昔からしていたので、その応援にしに行ったことがきっかけに、私はランナー友達から勇気を貰いマラソンに挑戦しようと決意しました。今でも覚えています2024年の1月1日彼女の願掛けのためにマラソンをスタートする事に、その日初めて走った日に綺麗な虹が出ていたのを今でも鮮明に覚えています。お互い共に頑張ろうねっと誓ったあの日、彼女は今ではお空で私を応援してくれています。辛くなったり、しんどくなったりした時は空を見上げ上を向いて走り続けていきたいと思います。彼女のお陰でマラソンに出逢えたこと感謝します。そしてこれからも誰かに勇気を与えれるように・・・
タイトル:2人で走る長い道
お名前:ひろみん さん
「パートナーと一緒にマラソン大会に出て、揃って完走する」
走り始めた頃からの夢を叶えてくれたのが、コロナ禍直前に結婚した夫でした。
初めて一緒に出たのは河川敷のハーフマラソン。その後は近場の大会でガチランしたり、観光がてら遠征してみたり。タイムは時の運、走力も近いので勝敗(?)は五分五分、敢えて一緒にゴールしたことも。お互いに1番のライバルでありファンでもあると思っています。
神戸マラソンは3年連続の2人参加。去年は揃ってPBでしたが、今回はどうなるか?美しくも厳しい42.195km、1人では長い道のりですが、最後の神戸大橋を2人で駆け抜け、完走メダルを持って帰ります!
タイトル:みんな誰かの応援団
お名前:KENみちのく さん
私は東日本大震災の発生した直後に宮城県気仙沼市へ災害派遣になった。その後13年間足しげく通わせていただくうちに気仙沼のかたとたくさんご縁をいただいた。つながりは年々強くなっている。日々生活を送るなかで子育てや親の看病介護、また自身の仕事や健康、お互いに助言や相談に乗り、支えあい今や遠くにいる親戚や旧友のような存在。私は今年の1月1日に発生した能登半島地震の被災地に2月に炊き出し、8月はキリコ祭り開催へ応援に現地に入った。被災地には東北のかたもたくさん応援に入っていた。ある人が東日本大震災の恩返しと言った。困ったときはお互いさま、応援してくれるかたがいるから心折れずに頑張れる。人を支えるのは人しかない、神戸マラソン名物のひとつに途切れない沿道応援があげられる。何度も止まりかける足が沿道応援のおかげで少しずつでも前へ進める。来年の1月17日で阪神淡路大震災から丸30年になる、いままでたくさん応援をいただいた兵庫県だからこそ、いま応援が必要な誰かを応援したい。みんな誰れかの応援団、今年もこの思いを胸に神戸の沿道応援に応えながら全国で増え続ける被災地にエールを送りたい。
タイトル:子ども食堂~それぞれの想いを胸に
お名前:SIMASIMA 子ども食堂 さん
月に一度、たくさんの子供たちに、食事と共に楽しいひと時を提供している「子ども食堂」。単に食事を提供するだけでなく「ずっと応援しているよ」「支えていくよ」という我々の気持ちを伝えたいと思っていました。
たまたまボランティアスタッフの中に神戸マラソン出場経験者がおり、またマラソンコースが子供食堂のすぐ近くを通ることも知って、「私達大人が一生懸命走る姿を見せることで、子供たちに勇気や元気を贈れれば」と子供達から大人気の「おにいちゃん」が、勇気や元気、挑戦する心を子供たちに伝えるべく、強い決意をもって初マラソンに挑戦することになりました!
タイトル:自分への挑戦!!
お名前:サンサン さん
今まで長距離走を避けてきた50超歳。今春長男、長女が新しい生活をスタートし、勤める会社も節目の記念すべき年に自分も何か挑戦したいと思い、一念発起し苦手な長距離走、しかも神戸マラソンに応募。当選、落選のどちらも願う自分がいたが、見事?当選。もうやるしかない。
マラソン初心者で一からの練習1カ月。今は無事に完走できるか不安のみ。
でも、応援してくれる家族、そして今までかかわっていただいた方々へ感謝の気持ちを込めて神戸の街を駆け抜けます!
challenge yourself.!!
タイトル:声援を力にかえて
お名前:福本 万里子 さん
私のフルマラソンデビューは2年前。
職場での些細な会話がきっかけで、マラソン大会に軽い気持ちで申し込んだことが始まりでした。
初めて大会に出た時は、42.195kmという未知の世界に身体も慣れていないため、途中、経験したことがない足の痛みに襲われました。
これはもうダメかもしれないと足を引きずっていた時、沿道の見ず知らずの人が「がんばれ!」と声を掛けてくれたのです。
その後、何人もの人から「がんばって!もうちょっとだよ~!」と応援していただき、涙をこらえながら腕を振っていると自然と足も一歩一歩動き始めました。
噂で聞いていた「沿道応援」とは、このことかと身に染みて感じることが出来ました。そして、完走できた時は周りが恥ずかしくなるぐらい泣いていました(笑)
大人になって初めて挑戦することってあまりないけど、この「走る人」と「応援する人」がセットになった素晴らしい空間を体験でき、完走の感動も味わえて、挑戦してよかったと心の底から思います。
神戸マラソンは昨年に続いて2回目!今年も、沿道の人たちに感謝の気持ちを伝えながら笑顔で完走したいです。
タイトル:"ありがとう"を走る力に変えて
お名前:樽本 信浩 さん
今回5回目の挑戦となる神戸マラソン。健康のために始めたマラソンが、今では趣味の一つになり、各地の大会に参加しているが、神戸マラソンは特別なマラソン大会である。
阪神・淡路大震災で自宅が全壊。当時、勤務していた中学校は、生徒二名が犠牲、約6割の生徒宅が全半壊、約2000名の被災者を受け入れる市内最大規模の避難所の一つとなった。私も被災者として支援や激励を受けながら、避難所の運営と教育復興に奔走した日々は、人生観の土台を形成している。誰が死んでも不思議でなかった大震災、自分は死ななかった。生かされた命を亡くなった方々の分まで精一杯生きることを誓った。神戸マラソンは、大震災で生かされた命を実感し、支援してくださった全ての方々への感謝と恩返しのマラソンである。
大震災で焼け野原となった長田の街を走ると、当時の惨状が瞼に浮かぶが、見事に復興した街並みは走る力を与えてくれる。沿道から卒業生やその保護者から声援をいただくことがある。思わぬ応援団が疲れた背中を押してくれる。
まもなく大震災から30年を迎える。"ありがとう"を走る力に変えて、復興を遂げた神戸の街を走り抜けたい。
タイトル:アニーと走る神戸マラソン
お名前:山田 真帆 さん
今回の神戸マラソンはチャレンジプロジェクトに申し込み、初めて兄と一緒に走ることになった。
我が兄は自分のことをアニーと呼ぶ。
アニーは誰よりもマラソンをこよなく愛し、毎日神戸の街を走り練習し、熱く熱くマラソンを語る。熱くて時にうざい(笑)。
しかしながらアニーはとても運が悪く、これまでなかなか神戸マラソンに当選しなかった。
ある年は私だけ当選したもので、「平たく言ってムカつく」と言われたこともある。
ある年はアニーがようやく神戸マラソンに当選したが、私が怪我をして出られなかった。
そんな事もあり、これまで互いが走るマラソンの応援に行っていた。
神戸だけではなく、岡山、奈良、京都、県外のマラソンにも出向き応援し合う。
応援するのも楽しいし、応援されるとやっぱり嬉しい。
昨年の神戸マラソンではアニーから麦茶をもらい一休憩し、残りも頑張れるわ!となったものだ。
そんな我々二人が揃って走れる神戸マラソン!
スライドで声を掛け合うのがとにかく楽しみ。
大きな声でアニーを応援したいし、私もされたい!
そのためにもそれぞれの目標へのチャレンジを頑張りたい。
タイトル:マラソンとの出会いと感謝のラン
お名前:ともき さん
「強くなりたい」という一心で始めたマラソン。初めて神戸を走ったのは2011年でした。
当時、通っていたビジネススクールでも仕事でも、人と自分を比べてばかり、自信を持てない私がいました。
そんな頃、神戸マラソンの開催を知り、幸運にも初めてチャレンジをする機会をいただけた第1回大会。
子どもの頃から運動が苦手だった私に、母は大反対、そんな母の心配をよそに一人で当日を迎えました。
一つひとつ関門を突破することを目標に、制限時間いっぱい使って、収容バスや白バイに追われながら最後尾。
ぎりぎりでも小さなゴールを積み重ねた結果、42.195キロのフィニッシュにたどり着くことができました。
涙しかありませんでした。
翌年、再度当選をいただいた第2回大会。
大反対していた母が、田舎から一人で沿道まで応援に来てくれました。
あれから毎回、神戸を走る年は両親ともに沿道まで応援にきてくれるようになりました。
自分が歳を重ねる分、老いていく両親。
元気なうちに、少しでも元気な姿を見せることができればと、今年はchallenge projectで走ります。
タイトル:応援のおかげ
お名前:奥川 正朗 さん
65歳を目前に控え、今年も 4回目の 神戸マラソンに挑戦できることになりました 。学生時代は運動部に所属し 走ることが嫌いではなかったのですが、社会人となり 不節制が祟り、50歳を超える頃には 立派なメタボおじさんとなりました 。何となく健康への不安はあったものの 何もせずに過ごしておりましたが 55歳を過ぎた頃 、私より20歳年上の元上司 Kさんから Kさんが代表を務めるマラソンチームへのお誘いを受け、何も考えずに気軽に承諾しました。いざ 走り始めると全く走れない。 しかしKさんを始め皆さんに励まされ 5キロ 10キロ ハーフと距離を伸ばせ、メタボともおさらばでき、 59歳で初めてのフルマラソン、神戸マラソンにチャレンジ、沿道の沢山の方の応援に背中を押され、完走出来ました。まさか この年でフルマラソンを完走できるとは 。今まで味わったことのない感動とKさんを始めとするチームの皆さん、 家族、そして 沿道で熱く応援して下さった神戸の皆さんへの感謝で胸が一杯になりました。今年も感謝の気持ちを胸に完走を目指し、頑張ろうと思います。
タイトル:七夕の願い事
お名前:匿名希望 さん
自分自身の健康と、娘に努力の結果を伝えるというメッセージを送る目的で3年前から走り初めて、今年で3回目の神戸マラソンです。
神戸マラソンで走る事を毎年応援してくれている娘が今年の七夕の短冊にびっくりな願い事を書いてくれました。
『ととがまい年こうべマラソンが走れますように』とても嬉しかったです。
今年と来年のメダルが繋がるデザインである事をニュースで見ていたので今年と来年の完走を目指して娘にメダルを見せれるように頑張ります。
タイトル:復活劇に向けて
お名前:猛虎21号 さん
2023年は、姫路城マラソン:サブ3、富士登山競走:サブ4、四万十川ウルトラマソン:サブ10と市民ランナーの目標の一つでもある"年間グランドスラム"を達成。さらには、トライアスロン競技でも年代別優勝するなど、キャリアハイに匹敵する結果を残し、2024年シーズンも2月の姫路城マラソンを皮切りにスタートしようとした矢先、健康診断で悪性リンパ腫が判明。自覚症状もなく、いつも通りの生活と練習に励んでいた中での突然の告知。頭の整理もつかないまま、2月中旬より抗がん剤による治療が始まりました。今年予定していたレースは全てキャンセル、姫路城マラソンは病院のベッドでTV観戦となりました。治療が続く中、落ちていく体力に絶望するが、モチベーションを維持するために神戸マラソンにエントリー。幸運にも抽選に当選し、8月には全ての腫瘍が消え寛解となった。さっそく半年ぶりにランニングを再開するが、7分/kmで5km走るのが精一杯。これで3ケ月後の神戸マラソンを完走することができるのか?家族・病院のスタッフ・友人、お世話になった方々に、元気に復活できた姿をお見せして、恩返ししたい。待っていろ、神戸大橋!
タイトル:震災から30年を迎えるにあたり
お名前:勝本 一 さん
まもなく震災から30年を迎えます。
おしゃれな街神戸が一瞬にがれきの街に変わってしまいました。
あの時、神戸マラソンが開催している事は想像もできませんでした。
このように神戸マラソンが開催できる事に感謝すると共に喜びであります。
神戸の惨状を見てたくさんの人が復旧に復興に力を貸して頂いて今があります。
私も長田区の火災現場に駆けつけた神戸マラソンのコースを今回ランナーとして、駆けれる事に喜びでいっぱいです。そして沿道に知り合いがたくさん応援に駆けつけていただく事になっています。
また、前日には、受付ボランティアとして、皆さんをお迎えしたいと思います。当日は、皆さんと最後になる神戸大橋を渡るコースを楽しみたいと思います。
年頭能登半島の地震があり神戸のあの時を思い出しました。
まだまだ、大変な状況におられる事に心苦しく思います。
いつか、能登半島マラソンが開催されるといいなぁと思っています。
タイトル:なし
お名前:Zen さん
学生時代に神戸の街や人に憧れ神戸で過ごしました。大震災で仲間を失い悲しいこともありましたが、それでも負けず復旧を続け30年経ても私にとって今なお一番大切で魅力的な場所と人がある街が神戸です。ラッキーにも私は神戸出身の妻と出逢い結ばれ神戸マラソンの時は、いつもお父さん、お母さんの住まいがある塩屋付近の沿道で家族一同で熱い応援をしてくれます。
私は今年11月20日で50歳を迎えますので今年の神戸マラソンが40代最後のフルマラソンになります。沢山の素敵な経験や大切な人、家族との出逢いをつくってくれた大好きな街と家族への感謝をこめて100年時代の折り返し地点で今回サブ3目指して走らせていただきます。
タイトル:声援を伴走の力に変えて
お名前:菊池 裕彦 さん
「声援を伴走の力に変えて」
神戸マラソンの選手としての参加は3回目だが、自分の最大の思い出は選手として参加した2回ではない。
7年あまり前からブラインドランナーの伴走をしているが、フルマラソンの伴走は2年前の神戸マラソンが初めて。
それまで垂水健康公園で100回近く一緒に練習してきた。
当日は20km地点で第1伴走者からリレー。
沿道の多くの人からの応援がありがたい。ブラインドランナーは音しか情報がないので、たくさんの声援が大きな励みになる。
「伴走の人もがんばって!」の温かい声援も嬉しい。自分もヒーロー気分で手を振って声援に応える。
周囲のランナーも、給水を取ってくれたり、走路を空けてくれたり、本当にありがたい。
目標の3時間30分は達成できなかったが、素晴らしいコース、大声援、温かいランナーに囲まれ、ブラインドランナーさん共々、大満足だった。伴走の私にも完走バスタオルをいただき感謝。
これからもしっかり健康、走力を維持して伴走を続け、ブラインドランナーの夢を叶えられるようにがんばりたい。
タイトル:私と神戸マラソン
お名前:松井一矢 さん
神戸マラソンの前身である神戸国際女子ハーフマラソン大会の時、僕は高校1年生で補助員を務めた。生まれ育った神戸の街を走るランナーに憧れた。初めてのフルマラソンは高校2年生(当時17歳)2時間55分51秒でデビューした。高校を卒業してから走ることは引退と思っていたが、神戸マラソンに進化した大会に魅力を感じ、あの時に憧れたコース、しかも42,195kmを走ってみたい!!と胸が高鳴り応募し、見事当選。初めての神戸マラソンは高卒社会人1年目(当時18歳)2時間52分46秒で完走。10代で1人だけのサブスリーランナーとなり年代別19歳以下の部で優勝。それから人生が大きく変わった。
思いっきり走る楽しさ、苦しさ、面白味に気付いた。人と出逢いたい!切磋琢磨したい!生まれ故郷の神戸に貢献したい!さまざまな想いが魂から溢れ出した。あれから約12年の月日が流れ、神戸マラソン出場は、今回で9回目。そして今、ランニングチーム神戸AC(神戸えーしー)を主宰し、みんなで挑み、みんなで関わり、支え合い、助け合い、応援し合い、みんなでつくる、プロセスを共有しながら、みんなで成長し、絆を生み、絆を感じるランニングチーム、みんなの居場所を、みんなで創造している。
僕は阪神淡路大震災を1歳1ヶ月の時に経験し、タンスの下敷きになった。でも、今、生きている。小学生の時にイジメに遭い自殺願望が生まれたが、今、生きている。詐欺に遭い、苦しい想いをしたが、今、生きている。マラソンと出逢ったことで、思いっきり走り、風を浴び、生きる歓びを知った。すべての始まりは、2012年の第2回神戸マラソンに当選し、もう一度走り始めたからこそ、今がある。
今年の神戸マラソンは30歳で迎える。節目の年。もう一度、頑張る。もう一度、輝く時。走れる歓びを全力で体現し、魂の走りをする。そして、チームメイト「神戸えーしー」の仲間たちへの声援も宜しくお願い致します。僕たちは1つ。神戸の街が1つになるチャンス、それが神戸マラソンの魅力の一つ。僕自身も精一杯を尽くします。
タイトル:亡き父と走る神戸マラソン
お名前:中井 夕子 さん
2012年からマラソンを始め、各地さまざまな大会へいつも父の運転する車で家族が応援に来てくれました。
しかし、神戸マラソンは毎年エントリーするも落選続きで走ることができませんでした。
結婚を機に大阪へ移り住み、仕事、出産、育児と忙しさもありマラソンから遠のいていましたが、7年ぶりに神戸マラソン2023にエントリーし見事初当選しました。
私が神戸マラソンを走ることを楽しみにしていた父へ一番に当選の報告をし、久しぶりのフルマラソンで心配しながらも、「練習付き合うよ」とすごく楽しみな様子の父でした。
しかし、当選報告から1ヶ月後父が突然亡くなりました。
父へピースサインを送り42.195kmずっと見守ってほしいと願い、スタートをきりました。走りながら涙することもありましたが、応援プラカードを持っている父が沿道にいるようで無事完走することができました。
初浜手バイパスで初攣りさすがに「おとーさーん‼︎」と力をかりました。2年連続当選しました。今年も父の応援を力にラストコースを完走し楽しみたいです。
タイトル:神戸ハウスへの想いをのせて
お名前:髙島 久美 さん
ドナルド・マクドナルド・ハウス(DMH)をご存知でしょうか?
私がDMH神戸の存在を知ったのは、マクドナルドでランチを食べていた時でした。
お店で受け取ったチラシに『この街で、病気と闘う子どもたちのために。』というフレーズと、いくつかの写真、そして神戸ハウスのTwitter(現在X)が目に留まり、何気なく読むと自分の子供が入院していた時の記憶が鮮烈に蘇りました。
あの時の不安だった気持ち、大変だったことが、つい昨日のことのように思い出され、今この瞬間にも、あの時の私と同じ思いを抱えて闘っている人たちがいるのかと思うと、居ても立っても居られない気持ちになり、すぐに説明会に申し込み、仕事帰りに少しだけボランティア活動をさせていただくようになりました。
病気と闘うお子さまを支えるのは、家族だけが頑張らないといけないんじゃないです。
周りのたくさんの人が"自分にできること"を少しずつ持ち寄ってくれること、それがすごい力になっているのを神戸ハウスで実感しています。
そんな想いをもっとみんなに知ってもらい、たくさんの人に支援いただける様に神戸マラソンを通じて伝えていくために、ドナルドマクドナルドハウスや病気と闘う子ども達、そしてご家族の想い、応援を胸に、神戸マラソンを走りきりたいと思います。
ご希望の方への郵送は行っていません。
インターネットからダウンロードしてください。