皆様からお寄せいただいたランナーエピソードをご紹介いたします!
エピソードは8月31日まで。

お寄せいただいたエピソードは今後もピックアップの上、大会SNS等でご紹介させていただく場合がございます。

テーマ:震災とマラソンとわたし

タイトル:頑張った神戸!
お名前:今中悟央
阪神大震災当時自分は陸上自衛官で災害派遣に出勤しました、震災の4日後に結婚式を控えていたのですが新婚旅行は取り止めて式だけ挙げ、任務で神戸に向かったのを覚えています。
あれから30年、そして結婚30周年、昨年初孫も誕生しましたラン歴12年の52歳、未だサブ3という高い壁を超えられていません、夢のサブ3を目指して神戸マラソン2025を走ります!


タイトル:未来への襷、震災を越えて
お名前:akumugi
1995年1月、私が母の胎内にいた頃、阪神淡路大震災が発生しました。母がいた大阪での被害は限定的だったとはいえ、その響きは常に私の身近にありました。震災を知らない世代でありながら、その記憶は語り継がれ、私の中に深く刻まれています。
そして今年の5月、私は父となりました。未来を担う我が子を抱きしめ、改めて感じたのは、彼らが歩むべき未来をより明るく、希望に満ちたものにしたいという強い願いです。
今年の神戸マラソンは、私にとって単なる挑戦ではありません。震災からの復興、そして未来へと繋がる希望の象徴であるこの大会で、私自身の限界に挑むことは、子どもたちへのメッセージだと信じています。震災を乗り越え、力強く前へ進む神戸の姿に、私自身の決意を重ね合わせ、走り抜きます。この一歩一歩が、未来を担う世代への襷となることを願って。


タイトル:震災から30年の思いをのせて
お名前:たかし
震災当時、小学5年生でした。当時は大阪から通塾の為、週3~4で阪急電車に乗り西宮北口まで行っていました。自宅は外壁が破損した程度で家族は全員無事で電気等も割と早く復旧しました。
そして学校は休校になりテレビで見る神戸の様子は目を覆いたくなるような惨状である一方、どこか現実として理解しがたいものでした。そして1か月ほど経過し、塾が再開し電車が西宮北口に向かうにつれテレビで見ていた惨状が線路脇に広がっていました。一階部分が完全に潰れたマンション、山積みになったガレキ、震災が現実となった瞬間でした。
1年後、入試で訪れた神戸の中学では仮設校舎での受験。わずか1年で大きな不安を抱かせない試験を実施いただき、当時は幼心ながらに非常に感銘を受けたことを記憶しています。
結果的に大阪の中学に進学し、就職とともに上京し今は関東在住です。観光や友人の結婚式等で神戸に何度も訪れましたが、復興目線で街を見たことはありませんでした。縁あって去年からマラソンをはじめた時から、震災の地を自分の五感で感じて走りたいという思いから神戸マラソンにエントリーしました。30年の月日を感じながら駆け抜けたいと思います。


タイトル:自分とマラソン
お名前:鳥居竜光
過去にホノルルマラソンを完走しましたが、コロナ禍になりマラソンもせずにしてましたが、3年前に鳥谷敬氏のランニングイベントで再び走り始め、そこから段々と走る事が楽しくなり、神戸マラソンに参加しました。その時は最後に歩いてしまったので、今年は絶対完走します。


タイトル:今は親子で
お名前:ころっと
震災当時灘区在住中学2年生の私はその日、百人一首大会があるなーと早朝目が覚めていました。
轟音と共に生まれて初めての大きな揺れに訳もわからずでした。大会のため体育館に敷かれた畳はそのまま避難所に...
友達と遊びに行った三宮も見た事ない景色で呆然としました。
あれから30年、母になった私は2023年に神戸マラソンが初マラソン、翌年は息子が神戸で初マラソン今年は運良く2人とも当選して初めて親子で震災を乗り越えた街を走ります。色々な思い出がたくさん詰まった街です!母として息子にいろんな事を伝えながら一緒に完走したいと思います。


タイトル:神戸のマダム?走る
お名前:キャサリン
震災の朝、生後3か月の娘の授乳を終えてベットに寝かせようかと思った瞬間にドンという音と共に激しい揺れが、夫は飛び起きて娘のベッドに向かう、次の瞬間、夫の寝ていた所にブラウン管のテレビが落下、寝てたら骨折は免れなかったと、、娘は私の腕の中ですやすやと。あれから30年経ち、他の地域の災害のニュースで見るたびに、あの朝の恐怖を思い出します。
あの朝、娘を守るために起き上がった主人は白血病で亡くなりました。
神戸マラソンは第一回から何度も走らせていただいています。第一回の時、初めてのフルマラソン挑戦の私のために主人がティシャツに虹を描いてくれました。そのおかげか完走することができました。おしゃれランナー賞もいただきました。今年はそのティシャツで主人と一緒に走っている気持ちで完走したいと思います。
コロナ禍でマラソン大会が中止になり、マラソン走れるってことは平和やということだと実感しました。新しくなったコースを感謝の気持ちで走りたいです。その一歩は未来への一歩、一歩ずつがゴールへとつながります。
今、つらい人に少しずつ前に進む気持ち伝えられたらと思います。神戸のマダム、いやおかんは今年も元気に走ることを誓います。平和な神戸の街を。


タイトル:被災者のために消防士の強さを魅せる
お名前:清水大貴
私は神戸マラソンを走ることで、速さはもちろんそれ以上に強さを魅せることで、地域の方々に勇気と安心感を与えられるよう走りを通して伝えたいことがあります。
私は大阪の堺市で消防士をしており、昨年1月大阪府の派遣隊として能登半島地震の被災地に赴き、まだ安否が確認されていなかった住民の捜索に全力を尽くしました。その中で、自分たちの暮らしがままならない中、能登の人々は大阪からやってきた消防士に何度も感謝を伝えてくれました。
これを私は日本全国の先代消防士の先輩方が今までしてきた災害に対する活動はもちろん、普段からの行動等が市民の方々に、『消防士が来てくれたからもう大丈夫だ』と思わせる安心感に繋がっているんだなと強く実感しました。また阪神淡路大震災発災時も全国の消防士が神戸へ集結し、活動していた記録を見たことがあり、その時の記憶を被災者の方々は今でも覚えていると思います。
そして私も普段の消防業務はもちろん、マラソンでも速さ以上に強さを魅せ地域の方々へ『消防士はこんなに体力があるんだ』と思われる走りをすることで、勇気と安心感を与え、災害時には被災者を救える消防士でありたい思っています。


タイトル:私とマラソン
お名前:垣田清隆
1キロを走るなんて信じられないと思ってましたが、東日本大震災が発生し、その時のボランティアメンバーが、仙台ハーフを走っているのを見たのがきっかけです。神戸生まれの神戸育ちだから、絶対完走するぞとエントリーし当選して、約7時間かけてゴール。翌年は5時間台。そして今は100キロ迄走ってます。


タイトル:自分が走ってもいいのか?
お名前:阪井真実
震災の話を聞くと生きたい人が亡くなって死にたいと思っている自分が生きているのが申し訳なくなります。
というのも10年以上前から摂食障害でその時に軽度の知的障害もわかり自分の人生終わったと思って5年前ぐらいまで引きこもりに近い生活を送っていました。
もう死のうと決め身辺整理をしている時に偶然聞いた宮本浩次さんの冬の花に心を打たれてライブに行きたくて死ぬのをやめました。外に出る練習として始めたランニングがきっかけで大阪マラソンに3回挑戦して完走。ライブにも13回行けました。
引きこもりの私が全国色んな所にライブで行けるようになった。だから今まで行った所のマラソンに挑戦したいと思ってエントリーしました。
ですが摂食障害は治ったわけではなく何とか上手く付き合って生きている状態で酷いときは死にたくなります。
そんな自分が多くの生きたい命が失われた神戸の街を走っていいのか?って疑問もありますが支えてくれる家族や友人に感謝し「幸せってなんだろう時の狭間につぶやく私がいるそうさこうして日々生きていることだって頭じゃわかっているつもりだけど」宮本浩次さんのrainの歌詞を心に刻んで走ります。


タイトル:リベンジ
お名前:Yoshitaka Chujo
2013大会から毎年出走。毎年のようにベストを出してきた相性の良き大会!
しかし、昨シーズンは、怪我の影響もあり、思ったような走りができないレースが続いた。
2024年に初めて2時間40分を切り、乗っていけると思っていただけにくやしい一年だった。シード権も逃し、走れるか不安だったが、幸運にも抽選で当選し、走れることにまず感謝!
妻の祖父や親戚もいるだけに何も言わずにも気合いは入る!
周りの仲間や家族に感謝して、思いっきり神戸の街を楽しみたい!もちろんパーソナルベストで!
load to 福岡国際!


タイトル:30年を経て一緒に走る相手は?
お名前:なおちゃん
神戸生まれ神戸育ちの私は震災当日、結婚し夫と当時1歳半の長女と播磨町の県住に住んでおり被災しました。被害は神戸市内の比ではありませんでしたが、歩き始めた長女を抱えて散乱した室内を掃除するのは大変でした。
3人いる子供の中で唯一被災を経験した長女も今年で32歳。2歳の母となり日々子育てと仕事に必死に過ごしています。私のマラソンも応援してくれていますが、一緒に走ろうという誘いには無理といってフラれていました。
そんな今年、丁度還暦となる年に長女の夫であるお婿さんが一緒に走ってくれることになりました。甲子園出場経験のある婿殿と二人で完走し、いい記念になればと思っています。


タイトル:30年目の今年にいま想うこと、そしてこれから
お名前:がっきー
震災から30年目の今年。元号も平成から令和に変わり当たり前のように私も30年歳を重ねました。当時はまだ独身で灘区の実家で今は亡き両親と暮らしていました。数えてみると父は当時61歳、私も今年61歳と当時の父と同じ年齢になりました。
この30年で神戸の街は復興再生を遂げ次のステージへと歩みを進めています。私も結婚し娘2人に恵まれて彼女たちの成長を見守りながら自分自身の人生を歩んでゆく途中でランニングと出会いました。楽しいこと辛いこと様々な出来事と向かい合う時にそこには家族の存在とランニングがありました。走ることで得たものは思いのほか多く今では私の人生にかけがえのないものとなっています。
そして30年目の節目の年に3年ぶりに神戸マラソンを走ります。2022年は骨折後の復帰レースで見事自己ベストを更新し思い出深い大会となりました。今年その時の自己ベストへ再び挑戦すべく走ります。私の歩んで来た人生と愛する人達の思い出詰まった神戸の街でスタッフ運営、ボランティア、沿道の応援の皆さん、そして我々ランナーが創る神戸マラソン2025。明日に向かって笑顔でゴールします。BE KOBE.BE HAPPY


タイトル:痛みを越えて踏み出す一歩に、一歩ごとの「ありがとう」を込めて
お名前:永田雄也
2018年僕は潰瘍性大腸炎を発症し、徐々に悪化していく自分の体と向き合う日々を送っていました。痛みと不安に押しつぶされ、心身ともに深い闇に包まれ先の見えない毎日は走り出す理由さえも失わせていき、大好きだったマラソンもいつしか走ることすら断念せざるを得なくなりました。
そんな中、2024年、新薬「オンボー」と出会い、みるみるうちに症状は和らぎ半年後には日常生活が光を取り戻すまでに回復しました。
再びランニングシューズを履いたあの日、僕は確信しました。走ることは僕にとって、ただのスポーツ以上の希望の象徴なのだと。ひと踏みごとに心の淀みが晴れ、呼吸を重ねるたびに「生きている」という実感が身体中に広がっていきました。ここまで歩んでこれたのは、辛い時も寄り添い続けてくれた主治医の先生、病気を理解し支えてくれた家族、折れそうな心を励ましてくれた友人たちのおかげです。言葉では言い尽くせないほどの感謝を胸に、今の僕は元気に走る喜びをかみしめています。
30年目のこの街を駆け抜けるとき、僕は自分だけのストーリーを刻みます。かつての苦しみがあったからこそ、いま走れる自分がいる。一歩一歩に「ありがとう」を込めて、走り続けます。


タイトル:神戸
お名前:キョウ
私は中国からの留学生です。初めて神戸を訪れた日、美しい港町の景色に憧れました。でも、震災記念資料館で知った「あの日」の話は、この街の強さを教えてくれました。
マラソンは、私にとって日本との新しい絆です。去年の大会で、膝を痛めて歩いていた時、「大丈夫?」と声をかけてくださった地元の方がいました。その優しさは、震災時にもきっと同じだったのだろうと想像しました。今年は走ることで、神戸の「復興の力」の一部になりたい。42.195kmは、私がこの街からもらった温かさへの、ありがとうの距離です。

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